教育の本質を考えると、様々なものが見えてきます。教育と言えば、学校などで行っているものですが、それよりも家庭の方がとても重要になります。実は、家庭の中で子供の能力を制限してしまっている可能性があるため、将来的に子供が路頭に迷うことになるかもしれません。一昔前までは、そのような事はほとんど取り挙げられていませんでした。もちろん家庭教育が子供の能力を制限してしまうと述べている人もいたでしょう。ですが、能力の制限に関して熱く語られるようになったのは、ごく最近といえます。親は子供に対して何かを教育する場面で、とにかく制限を加えることしかしません。年齢とともに制限が増えていき、子供は窮屈な思いをすることになるでしょう。具体的に言えば、まだ1歳位の場合には床にジュースをこぼしてもそこまで怒られる事はありませんでした。あるいは、部屋の中を散らかしても行える事はなかったはずです。ですが幼稚園の年長から小学生ぐらいになると、部屋を散らかしただけでも怒られます。当然ジュースをこぼしても激怒する親が出てくるでしょう。このように年齢を大事に少しずつ叱る機会が増えてきて、子供はかなり狭い制限の中で生きていかざるをえません。これはいつの時代でも同じかもしれないですが、最近このようなことが特に言われているのは、これからの世の中は制限的に生きる人ほど不利だからです。今までの世の中は、制限的に生きていても、とにかく会社に入っていればお金を得ることができて生活をすることも可能でした。特に終身雇用などが約束されていたとすれば、とにかく会社に入って勤務を継続していれば良いわけです。しかし、今後は会社も寿命が短くなり永久に雇用される携帯ではなくなりつつあります。また、会社そのものの数が減っていく可能性も高まっています。行き着く先は、江戸時代からそれ以前のように会社ではなく個人で仕事を行う人が増えていく可能性が高いでしょう。この時、制限的な考え方をしていては、何も生み出すことができません。